難解な教典を必ずしも読む必要はない

現在法然上人を描いた小説(フィクション)を読んでいますが、昔の偉人は本当によく勉強したのですね(ちなみにまだ3分の1しか読んでません)。確か法然親鸞と念仏の行者ですが、仏典も念仏もただ『喜びの展開』として尊いと思います。

「あれ、タイトルと言っていることが違うじゃないか」と思われるかもしれませんが、仏典や念仏を悟りに至る条件とした場合、それは違うと言いたいのです。

詳しい方にお叱りを受けそうですが、やっぱり初めからある光を拝めるのが素晴らしい。何々をしたから、しなかったからではなく、『そのまま』を味わいたいです。